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ちあきなおみの今現在!近況は?引退?夫や子供は?喝采が名曲!

2019.02.07

歌手活動休止中のちあきなおみさんの今現在や近況が気になりますよね。ちあきなおみさんのプロフィールから「喝采」「矢切の渡し」「紅とんぼ」など人気曲をご紹介します。そして、休止後の今現在の活動や子供の有無、近況についてお伝えします。

  1. ちあきなおみの今現在&近況【プロフィール】
  2. ちあきなおみの今現在&近況【歌手活動・コロムビア時代】
  3. ちあきなおみの今現在&近況【歌手活動・テイチク時代】
  4. ちあきなおみの今現在&近況【夫は元俳優・郷鍈治】
  5. ちあきなおみの今現在&近況【活動休止は夫の遺言?】
  6. ちあきなおみの今現在&近況【子供はいる?】
  7. ちあきなおみの今現在&近況【代表曲は?おすすめ曲紹介!】
  8. ちあきなおみの今現在&近況【代表曲①喝采】
  9. ちあきなおみの今現在&近況【代表曲②黄昏のビギン】
  10. ちあきなおみの今現在&近況【代表曲③紅い花】
  11. ちあきなおみの今現在&近況【代表曲④矢切の渡し】
  12. ちあきなおみの今現在&近況【代表曲⑤紅とんぼ】
  13. ちあきなおみの今現在&近況【代表曲⑥星影の小径】
  14. ちあきなおみの今現在&近況【代表曲⑦夜へ急ぐ人】
  15. ちあきなおみの今現在&近況【このまま歌手引退?】
  16. ちあきなおみの今現在&近況は活動休止状態だった
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ちあきなおみさんは1947年9月17日生まれの70歳です。東京都板橋区に生まれ、3姉妹の末っ子として育ちました。母親の影響で子供の頃からタップダンスを習い、わずか5歳で日劇の舞台を踏みます。その後、藤沢(神奈川)、大森(東京都大田区)、新宿へ転校を繰り返しました。

全国を回った下積み時代

ちあきなおみさんは1947年9月17日生まれの70歳です。東京都板橋区に生まれ、3姉妹の末っ子として育ちました。母親の影響で子供の頃からタップダンスを習い、わずか5歳で日劇の舞台を踏みます。その後、藤沢(神奈川)、大森(東京都大田区)、新宿へ転校を繰り返しました。

作曲家・鈴木淳の指導を受けデビュー

大手レコード会社「日本コロムビア」のオーディションを受けたちあきなおみさんでしたが、結果は保留となってしまいます。しかし、作曲家「鈴木淳」さんに1年4ヶ月もの間指導を受け、21歳になった1969年ついに念願歌手デビューを果たします。
当時のキャッチフレーズは「苗字がなくて名前がふたつ」「魅惑のハスキーボイン」でした。「ちあきなおみ」さんは本名ではなく芸名です。芸名の由来は、当時のフジテレビのプロデューサー「千秋予四夫(せんしゅうよしいお)」さんの苗字から読みを変えてもらい、坂本龍馬の本名「直柔」から「なおみ」と読ませ、歌手「ちあきなおみ」が誕生しました。
引用: https://i.pinimg.com/564x/ac/1c/df/ac1cdf0eff6d1e67e5f252c1d52a1158.jpg
演歌歌手としてデビューしたちあきなおみさんは、当時は「日本コロムビア」に所属、その後に事務所を移籍しています。「日本コロムビア」時代のちあきなおみさんの主な活動や経歴をご紹介します。

「雨に濡れた慕情」でデビュー

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1969年「雨に濡れた慕情」でちあきなおみさんはデビューします。レコードは17万枚も売り上げ、同年「第1回日本有線大賞」期待賞を受賞しました。作詞は作詞家「吉田旺」さんで後に大ヒットする「喝采」「紅とんぼ」なども手掛けます。ちあきなおみさんと吉田旺さんは、ちあきなおみさんが引退状態(休止中)の時でも交流があるなど、公私共に名コンビとなります。

NHK紅白歌合戦に8回連続出場

1970年23歳の時、「四つのお願い」や「X+Y=LOVE」などが大ヒット、同年の「第21回NHK紅白歌合戦」に初出場します。1970年以降、8年連続で紅白歌合戦に出場しますが、その後、事務所移転や結婚による歌手活動休止などがあり、紅白歌合戦からは遠ざかっていました。しかし、11年後の1988年「紅とんぼ」のヒットで再び「第39回NHK紅白歌合戦」に出場しました。

多くのアーティストの楽曲提供を受ける

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1970年以降、ちあきなおみさんはアイドル路線にシフトして、お色気系の曲を発売したりバラエティ番組に出演するなど新境地を開きます。1972年には「喝采」で「第14回日本レコード大賞」を受賞、翌年からは爆発的なヒットを飛ばし、人気演歌歌手として成長を遂げていきます。
「喝采」でレコード大賞受賞後は本来の演歌路線に戻りつつも、「さだめ川」や「矢切の渡し」など演歌も多数発売しました。1977年以降、ニューミュージック(1980年以降に人気だったポップミュージックを歌うアーティストたちの総称)のアーティストから楽曲提供を受けます。中島みゆきさんや河島英五さんなど新たな音楽ジャンルに果敢に挑戦しました。

シャンソン・ジャズなど幅広いジャンルに挑戦

1980年代に入るとちあきなおみさんは、シャンソンやスタンダード・ジャズ、そしてポルトガル民謡など洋楽のカバーアルバムを多数発表します。この当時は、演歌のみならず幅飛来ジャンルを歌った時期でもあります。

美川憲一とCMで共演

ちあきなおみさんは女優としてもテレビや映画、CMに出演しました。中でも特に人気だったのが、1987年に放送された大日本除虫菊「タンスにゴン」のCMでした。ちあきなおみさんの演技性とコミカルな面が話題となりました。また共演した美川憲一さんも同CMによって再ブレイクするきっかけとなりました。

役者としてもドラマ・映画に出演

1969年にデビューしたちあきなおみさんは、翌年の1970年より女優としてもドラマや映画に出演しました。1980年公開の映画「象物語」では主題歌・挿入曲を歌うなど歌手としても存在感を発揮します。
1976年1月から8月に放送された日本テレビ系列ドラマ「大都会 戦いの日々」第8話では、サブタイトルに「俺の愛した、ちあきなおみ」と実在する現役歌手の名前が入り、これまでのドラマ界の常識を覆すものでした。内容はちあきなおみさんのヒット曲「喝采」の内容を多く取り入れた回になりました。
引用: https://i.ytimg.com/vi/72KcJdKjAao/hqdefault.jpg
1978年ちあきなおみさんは俳優の郷鍈治さんと結婚します。その後「充電期間(歌手活動休止)」に入り、10年後の1988年歌手活動を再開します。再開後はレコード会社「テイチク」に移籍、歌番組に出演するなどテレビで見かけることが増えた時代です。ちあきなおみさんのテイチク時代の活動についてご紹介します。

約10年ぶりに歌手活動を再開

1978年に俳優・郷鍈治さんと結婚したちあきなおみさんは「ヒット曲を追うのではなく、自分が歌いたい歌にじっくり取り組みたい」と歌手活動を休止します。歌手としてのテレビ出演は減りましたが、ちあきなおみさんのペースでレコーディングは進められていました。この頃は、女優としての活躍が多く時期でもありました。

カバー曲を多数発表

1990年以降はカバー曲を多数発表しました。1991年「黄昏のビギン」は1959年水原弘さんが発売した楽曲で、「八六コンビ」として一世を風靡した「永六輔」「中村八六」が作詞・作曲しました。また「星影の小径」は1950年に小畑実さんの楽曲で、その後、何後もCM曲として採用されています。

ミュージカルに主演で出演

1989年1月、ミュージカル「LADY DAY」の主演つぉいて出演、ジャズ・シンガー「ビリー・ホリディ」の生涯を描いたミュージカルで、ほぼひとり芝居の舞台をこなしました。同ミュージカルは歌も好評でしたが、ちあきなおみさんの演技力の評価が高く、翌年には再演されるほどの人気でした。1991年に上演された舞台「ソングデイズ」でも主演で出演するなど、新たな場所での活躍が目立ちました。
引用: https://pbs.twimg.com/media/BxNlOIvCEAAUeSO.jpg
ちあきなおみさんは1978年に俳優の郷鍈治さんと結婚しました。郷鍈治さんは日活の映画俳優としてデビュー、テレビドラマに出演するなど、俳優として活躍しました。強面の容貌のためヤクザや凶悪犯、殺し屋など悪役を演じる機会が多かったそうです。ここからは、ちあきなおみさんと夫・郷鍈治さんについてご紹介します。

夫の兄は俳優の宍戸錠

郷鍈治(ごうえいじ)さんは1937年5月29日生まれです。大阪府大阪市に生まれ、23歳の時に日活映画「狂熱の季節」で俳優デビューします。兄は同じく俳優の宍戸錠さん、甥(宍戸錠さんの息子)は宍戸開さんです。

2人の出会いは義兄・宍戸錠の紹介

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2人が出会ったのは1973年(ちあきなおみさん26歳、郷鍈治さん36歳)の時でした。キューピッド役は郷鍈治さんの兄・宍戸錠さんでした。2人は交際を経て5年後の1978年に結婚、フジテレビ系列トーク番組「ラブラブショー」にも2人揃って出演するなど、仲睦まじい姿が話題となりました。

芸能界引退後は個人事務所の社長&マネージャー

結婚後は郷鍈治さんは俳優として活動する一方、ちあきなおみさんは「充電期間」として歌手活動を休止、女優としての活躍が増えていきました。郷鍈治さんはちあきなおみさんの実家に婿入りし、ちあきなおみさんの個人事務所設立にも携わりました。俳優として活動していましたが、ちあきなおみさんを支えるために俳優をひっそりと引退、事務所社長兼マネージャーとしてちあきなおみさんを支えていきました。

広尾に純喫茶を開業

ちあきなおみさんの個人事務所社長、そしてちあきなおみさんのマネージャーとして常に行動を共にする一方、生活の基盤として広尾に純喫茶「COREDO(現在は閉店)」を開業します。郷鍈治さん自ら店頭に立ちコーヒーを淹れる姿が人気となりました。コーヒー好きが集まる一方、テレビ業界の人も商談や休憩に利用するなど業界人のたまり場として人気でした。また時折、ちあきなおみさんも接客することもあり、ファンにとっては隠れた名店として人気でした。
引用: https://images.unsplash.com/photo-1494426383302-7b9d36a1a028?ixlib=rb-0.3.5&ixid=eyJhcHBfaWQiOjEyMDd9&s=48512d05c2ac56c947b7419ebf441a3f&auto=format&fit=crop&w=1349&q=80
ちあきなおみさんが芸能界の活動休止(ほぼ引退状態)になってしまったのは、何が原因だったのでしょうか。深く探ってみると、最愛の夫・郷鍈治さんの死去が関係していました。

肺ガンで最愛の夫が死去

1992年ちあきなおみさんが45歳の時、最愛の夫・郷鍈治さんが肺ガンで亡くなります。火葬場でちあきなおみさんが「私も一緒に焼いて」と号泣したことは有名な話です。10歳の年の差を乗り越えて結婚したちあきなおみさんは、最愛の夫を亡くして失意のどん底に落ちていきました。

夫・郷鍈治の遺言とは?

「故人の強い希望により、皆様にはお知らせせずに身内だけで鎮かに送らせて頂きました。主人の死を冷静に受け止めるにはまだ当分時間が必要かと思います。皆様には申し訳ございませんが、静かな時間を過ごさせて下さいます様、よろしくお願いします。」

最愛の夫・郷鍈治さんの葬儀・告別式が執り行われた数日後、ちあきなおみさんは書面で芸能活動を休止するコメントを発表します。引退宣言とも取れる内容に、多くのファンや演歌ファンに衝撃を与えます。
ちあきなおみさんの思い切った行動の裏には、夫・郷鍈治さんの生前の言葉がありました。郷鍈治さんは亡くなる前に「もう無理して歌わなくていいよ」と告げたようです。ちあきなおみさんは、郷鍈治さんの言葉に従い表舞台から姿を消すことを決意、ちあきなおみさんが活動休止(ほぼ引退状態)をしてから2018年で26年になりますが、復帰の噂は聞こえてきません。

現在はほぼ引退状態

ちあきなおみさんは書面で芸能活動休止を発表しましたが、一切表舞台に立っていません。そのため、ほぼ引退状態にあります。しかし、正式な引退宣言を行っていないため、ファンの間では「復活の可能性がある」と信じられています。果たして今後、ちあきなおみさんは再び表舞台に登場する日がくるのでしょうか。
引用: https://images.unsplash.com/photo-1438962136829-452260720431?ixlib=rb-0.3.5&ixid=eyJhcHBfaWQiOjEyMDd9&s=05df13e69c83fd360f687bdeb92bf0cc&auto=format&fit=crop&w=1350&q=80
ちあきなおみさんと郷鍈治さんの間に子供はいたのでしょうか。調べてみると2人の間に子供はいませんでした。ちあきなおみさんと郷鍈治さんの結婚生活は14年間でしたが、ちあきなおみさんは女優としてテレビやドラマ、映画に出演、郷鍈治さんは個人事務所の社長やちあきなおみさんのマネージャー、そして喫茶店の運営など仕事に追われていた毎日を送っていました。

子供がいたら引退しなかった?

2人が子供を作る予定がなかったのか、はたまた子供を作る予定があったのか不明ですが、現状で2人の間に子供はいませんでした。もし、子供がいたならば、ちあきなおみさんは現在のような引退状態にならなかったのでしょうか。
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ちあきなおみさんは、これまでに数多くの楽曲を発表しています。その中でも特に人気がある曲を7曲ご紹介します。
喝采/雨に濡れた慕情 Single, Maxi
価格 ¥ 942
誰もが知っている昭和歌謡の名曲をアーティストごとにカップリング。日本レコード大賞に輝く「喝采」と、昭和44年の記念すべきデビュー曲「雨に濡れた慕情」。大人びた女心を歌うちあきなおみの魅力が再確認できるはず。
1972年9月に発売された「喝采」は、ちあきなおみさんを代表する曲です。「亡くなってしまった恋人を想いつつ、ステージで歌う」という詞の内容で、最愛の夫・郷鍈治さんの死と関連付ける人が多いことなどから、ちあきなおみさんが「伝説の歌手」として美化される存在になった曲でもあります。詞の設定や内容などから「ドラマチック歌謡」と言われ、演歌とは異なった世界観が魅力です。

レコ大大賞を受賞

「喝采」は「第14回日本レコード大賞」において大賞を受賞しました。1972年上半期では、同年4月に発売された小柳ルミ子さんの「瀬戸の花嫁」が有力視されていました。しかし9月「喝采」が発売されたことで、レコード大賞の審査員はどちらを大賞に選ぶかかなり悩んだそうです。当時レコード大賞の審査員の1人は「もう(瀬戸の花嫁に)決めていたのに、悩ましい曲を書かないでよ」と苦情のような嬉しいコメントを残しています。

多くのアーティストが「喝采」をカバー

1972年に「喝采」が発売されてから46年が経ちますが、現在までに多くのアーティストにカバーされてきました。アーティストの中には「石原裕次郎」や「由紀さおり」「徳永英明」「桑田佳祐」「一青窈」などがカバーしてきました。

「喝采」を動画でチェック

サントリー「BOSS」CMでも「喝采」が起用され話題に

2015年9月飲料メーカーサントリーの缶コーヒー「BOSSコーヒー」のCMにちあきなおみさんの「喝采」が使用されました。CMにはミッツ・マングローブさん、徳光和夫さん、そしてハリウッド俳優トミー・リー・ジョーンズさんなどが出演しています。
黄昏のビギン/かもめの街 Single, Maxi
価格 ¥ 997
1959年10月に東京芝浦電気(現・東芝)の音楽事業部、東芝レコード(現・ユニバーサル ミュージック合同会社)から発売された。
1991年に発売されたカバーアルバム「すたんだーど・なんばー」に収録された「黄昏のビギン」は、1959年10月に水原弘さんが発売した曲のカバー曲です。ちあきなおみさんがオリジナル曲と考えている人が多いほど、ちあきなおみさんと代表する楽曲のひとつです。

水原弘が歌った曲をカバー

引用: https://i.pinimg.com/564x/c3/ed/11/c3ed115a41a2208b5312770a2c16a58a.jpg
作詞は「永六輔」さん、作曲は「中村八六」さんと後の「八六コンビ」として数々の名曲を作り上げる2人が作詞・作曲に携わっています。発売当時はそれなりに売れた曲でしたが、その後はクラブやキャバレーで歌われる程度でした。しかし、ちあきなおみさんがカバーしたことで再び脚光を浴びました。

「黄昏のビギン」を動画でチェック

多くのCMに起用された「黄昏のビギン」

ちあきなおみさんがカバーした「黄昏のビギン」は、多くのCMに起用されてきました。カバー曲を発表した1991年には「京成電鉄」、1999年から2003年には「ネスカフェ」、そして2011年には「トヨタ自動車」のCMに起用されました。
ほのぼのと、切なさと、懐かしさと、ちあきなおみの“黄昏のビギン"はあなたの恋する勇気をサポートします。
価格 ¥ 2,336
デビュー45周年(同)を記念して、本テイチク盤とコロムビア盤を同時発売。
「紅い花」は1991年10月に発売され、ちあきなおみさん最後の楽曲(2018年現在)となりました。翌年1月に活動休止を発表したため、オリジナルの楽曲は「紅い花」が最後となってしまいました。1991年公開の映画「GONIN」の挿入曲として使用、1995年10月にはシングル盤が発売されるなど、時代を経ても人気の曲です。

「紅い花」を動画でチェック

矢切の渡し/紅とんぼ Single, Maxi
価格 ¥ 942
1976年にちあきなおみのシングル「酒場川」のB面曲として発表され、1982年にはちあきなおみのA面シングルとして発売された
1982年に発売された「矢切の渡し」は、「日本コロムビア」に所属していた時に発売した最後の曲です。「矢切の渡し」の曲の舞台は、柴又(東京・葛飾区)と松戸(千葉県)の間を結ぶ矢切を舞台にしています。実は「矢切の渡し」はA面曲ではなく、「酒場川」のB面曲として発売されました。これは、ちあきなおみさん本人の希望でした。

翌年細川たかしがカバー

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1983年歌手・細川たかしさんが「矢切の渡し」をカバーしたことで再び注目されます。また1988年より女形・梅沢富美男さんが舞踊演目で「矢切の渡し」を使用したことで再び注目されました。

日本コロムビア時代最後の曲

「矢切の渡し」が梅沢富美男さんの影響で人気が出た1988年、当時ちあきなおみさんは既に「テイチク」に移籍していました。「矢切の渡し」をほとんどテレビで歌わなかったため、映像が残っていなかったため、「日本コロムビア」は1988年10月「矢切の渡し」のシングル盤を発売します。「矢切の渡し」はこれまでに28人ものアーティストにカバーされてきて、この記録はレコード記録として現在も残っています。

「矢切の渡し」を動画でチェック

紅とんぼ ちあきなおみ 船村演歌を唄う CD
価格 ¥ 2,116
昭和63年発売。全部の作曲に船村徹氏を迎えて制作されたアルバム。
1988年10月に発売された「紅とんぼ」は、作詞家・吉田旺さんが12年ぶりに詞を書いた楽曲です。「紅とんぼ」は、新宿駅裏にある「紅とんぼ」という酒場を閉じて、田舎に帰るという設定が盛り込まれています。

NHK歌謡パレードで毎週流れて話題に

「紅とんぼ」は1998年9月放送の「NHK歌謡パレード’88」で披露、9月のオリジナルソングとして毎週「紅とんぼ」が披露されました。これが話題を集めシングルが発売されることとなりました。

久々に紅白歌合戦に出場

「紅とんぼ」は発売後、オリコンチャートでベスト100位以内に24週ランクインするなど、ロングセラーとなりました。そして1988年の「第39回NHK紅白歌合戦」にちあきなおみさんは出場、実に11年ぶりの出来事でした。「紅とんぼ」を紅白歌合戦で披露しましたが、この年の出場が、歌合戦最後の出場となります。

「紅とんぼ」を動画でチェック

星影の小径
価格 ¥882
1950年(昭和25年)にキングレコードから、小畑実の歌唱で発売された歌謡曲である。後に多数の歌手によってカバーされ、ちあきなおみによってカバーされた
1993年発売のアルバム「港が見える丘」に挿入された「星影の小径」でしたが、現在もちあきなおみさんの代陽曲として挙げる人が多い曲のひとつです。ちあきなおみさんが活動休止後の1992年12月、シングルカットされて発売されました。

カバー曲として発売

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もともとは1950年に小畑実さんが歌った楽曲を、ちあきなおみさんがカバーした曲ですが、同曲もちあきなおみさんがオリジナルと考えている人が少なくない曲のひとつです。

映画「その夜の侍」の主題歌として起用

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「星影の小径」は現在も多くのアーティストにカバーされています。2003年放送のドラマ「真実一路(高岡早紀さん主演)」の主題歌や、日本綜合地所のCM、そして2012年公開の映画「その夜の侍」などにも起用されました。

「星影の小径」を動画でチェック

ちあきなおみ全曲集 CD
価格 ¥ 2,638
コロムビア時代に歌った、様々なジャンルのシングル曲など、全21曲収録。 ちあきなおみファンにとってはもちろん、ちあきなおみを聴いたことがない人にとっても、彼女の魅力を感じることが出来る1枚!
1977年9月に発売された「夜へ急ぐ人」は、ニューミュージックのアーティストとして人気だったシンガーソングライター友川かずきさんが起用されました。同曲は「日本の女の狂乱」がテーマであり、テレビの音楽番組でちあきなおみさんが披露する時は、鬼気迫るちあきなおみさんの表現が話題となりました。

紅白歌合戦で鬼気迫るパフォーマンスが話題に

引用: https://i.pinimg.com/564x/ea/5c/4c/ea5c4c7ee4c6a211ad1c51c71dd8a28d.jpg
「夜へ急ぐ人」は1977年「第28回NHK紅白歌合戦」にちあきなおみさんが出場した時も披露されました。司会進行のNHKアナウンサー(当時)山川静夫さんは楽曲披露後「なんとも後味の悪い歌ですねえ」と言わせるほど、インパクトのある楽曲でした。

「夜へ急ぐ人」を動画でチェック

引用: https://images.unsplash.com/photo-1489641493513-ba4ee84ccea9?ixlib=rb-0.3.5&ixid=eyJhcHBfaWQiOjEyMDd9&s=fab3b3d2e5d190a842b4c0986053e0fc&auto=format&fit=crop&w=1350&q=80
表舞台から姿を消してから約四半世紀、ちあきなおみさんはこのまま引退してしまうのでしょうか。今現在の活動や近況をご紹介します。

現在はビルのオーナー

ちあきなおみさんは現在、不動産を所有しておりビルのオーナーなどの実業家として活動しています。しかし、表に出ることはほとんどなく、不動産経営で生計を立てているイメージの方が現状のちあきなおみさんを表すのに適した表現でしょう。
ちあきなおみさんの近況について、これ以外のことはわかりませんでした。そのため、音楽活動復帰に向けての活動をしているのか、それとも実業家としてさらに手広く行おうとしているのかなど、一切の情報が不明です。
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昭和の歌姫として「喝采」や「矢切の渡し」「紅とんぼ」など、現在も歌い継がれている曲を残してきたちあきなおみさんは、「黄昏のビギン」や「星影の小径」などカバー曲も数多く発表してきました。ジャズやシャンソン、ポップスなど幅広いジャンルを歌い上げるほど歌唱力が高い一方、女優としてドラマや映画、舞台などに出演、その演技力にも定評がありました。
最愛の夫・郷鍈治さんが亡くなった後は「静かに過ごしたい」と、表舞台から姿を見せなくなってしまいました。現在も再盤や音楽番組で特集が組まれたり、CMに供されるなど多くの人に愛されているちあきなおみさんですが、表舞台に再び復帰する気配はありません。再び多くのファンの前で歌う日が来るのでしょうか。
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サムネイル画像は下記より引用しました。
出典: https://www.instagram.com/p/Bf5s57MnLnw/?tagged=%E3%81%A1%E3%81%82%E3%81%8D%E3%81%AA%E3%81%8A%E3%81%BF